モロッコ旅行記(13) ― フェズ (2)

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■8日目(つづき)
11時15分、旧市街の南の高台にある砦を後に再び旧市街へ向かう。

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N8号線から門をくぐり、ベン・ムハンマド・エル・アラウィ通り(Boulevard Ben Mohamed El Alaoui)を 北へ進む。

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旧市街の真ん中をフェズ川(支流の)が流れるが、南の方は埋め立てられている。
フェズ川の西岸はカラウィン地区、東岸はアンダルシア地区と呼ばれている。それぞれ、チュニジアのカラウィン、スペインのアンダルシアからの移住者が住みついた地区とのこと。

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11時25分ごろ、アンダルシア地区でバスを降りる。
路地はもう狭い。人の肩幅もないくらいのトンネルになったところを通り抜ける。

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廃墟のようになっている。危なっかしい感じがする。

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5分ほど歩いたところで、広場に出る。ここからカラウィン地区に入る。

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食料品店が軒を並べる一画だ。左手に肉屋、右手に果物屋。

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これは魚屋。見かけない魚だ。

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こっちには八百屋がある。

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さらに進むと染色スーク(Souk des Teinturiers)に入る。道の中央に細い排水路が通っている。
狭い路地の中の運搬を担うのはロバ。

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染め上げられた布が道路のいたるところに吊るされている。

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染色スークを出たところに運搬待ちのロバが数頭つながれていた。

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今度は金属食器の店がある。

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サファリーン広場(Pl. Seffarine)に出る。
広場の向かい側に現在は使われていないが、フェズ最古の神学校サファリーン・マドラサがある。

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ここは鍛冶屋の集まる広場で、伝統的な手作業で銅製品が作られている。

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広場から雑貨店のある路地へ入る。

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カラウィン・モスク(Mosquée Karaouiyne)の東側の路地を歩く。モロッコ最大規模のモスクといっても狭い路地に囲まれた中にある。

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859年にチュニジアから移住した女性ファーティマ・フェヘリーヤ (Fatima al-Fihri)によって礼拝堂として建てられ、10世紀初期にムラービト朝のムーレイ・ベン・ユーセフが壮大なモスクに改築したものである。
イスラム教徒以外は中へ入れないので、開いている隙間すら中を覗き込む。

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モスク内には世界最古の大学も創建され、アラブ諸国から大勢の留学生が集まった。
角を曲がって、北側に回ると大理石の噴水のある中庭が見える。建物の壁面には幾何学模様やアラビア文字の美しいタイルがちりばめられている。

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次いで衣料品のスークに入る。これまで歩いてきた地区とはがらっと雰囲気が変わる。

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店内にはきらびやかな衣装などが展示されている。

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整然と配置された店舗はさながらショッピングモールの感。ここだけは再開発されたのであろうか、この一角だけは道が東西南北にきちんと区画されている。

添乗員のレポートでは、14世紀前半、マリーン朝のオスマーン2世(Abou Saîd Othman Ⅱ)により創設された神学校アッタリーン・マドラサ(Medersa Attarine)の前を通ったことになっているが、なぜだか写真がないし、記憶にも残っていない。

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で、次はサヴィア・ムーレイ・イドリス廟 (Zaouis Moulay Idriss)。
9世紀初めにフェズのメディナを建設したムーレイ・イドリス2世の墓があるところだ。
カラウィンモスクといい、ここといい観光客が大勢詰めかけている。ここはイスラム教徒以外は中へ入れないので、大半が入口の前にたむろしている。
写真を撮るにも頭越しに建物の上の方だけだ。

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ガイドも急いでいるので、すぐ次へ移動してしまった。
今になってみると、建物のどの部分を撮影したのかも思い出せない。わずかに外壁のモザイク写真が残るのみ。
このあたり旧市街の肝心の中心的な施設をどれもじっくり見ることも、十分に写真を撮ることもできずに通り過ぎてしまったのはなんとも不満が残る。

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そのあと、やや広い通りへ出る。

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再び狭い路地へ入ってレストランを目指す。

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12時30分に昼食のレストランへ(店の名前は不明)。

(つづく)

フェズ旧市街歩き、主要ななポイントを直線で結んでいるので、実際の歩いたルートとはずれる



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